今年はどうする?わたしたちのバレンタイン
シルホド!では、隔週のお昼休みに「ナゼトーーク!」と題し、とあるテーマに関心が高い社員をゲストとして迎え、そのテーマにまつわるエピソードを語ってもらいつつ、そのテーマについて掘り下げて考える社内座談会を開催しています。
今回は、女性社員2名をゲストに迎え「バレンタイン」というテーマで「ナゼトーーク!」を行いました。
その模様から見えてきた、バレンタインへの意識とバレンタインを通して見えてきたギフトを贈る気持ちを読み解いてまいります。
バレンタインに対する気持ち
年に一度、推しチョコに出会うワクワク感
バレンタインといえば、チョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ」などのバレンタインフェアが開催され、数多くのチョコレートが並ぶ季節です。
義理チョコ文化が衰退しつつある中で”自分用”が定着していますが、どのブランド・ショコラティエのチョコレートを購入するか迷いながら、自分の"推しチョコ"を探すことが楽しみのひとつになっているようです。
推しチョコが見つかった人にとってみると、バレンタインは年に1度、その推しチョコとの再会を果たす高揚感を感じられる特別なシーズンなのかもしれません。
ただの365日分の1日、強制されたくない
一方で、バレンタインを特に意識していない、というこんな意見もありました。
発言の背景には、社会からの圧力を敏感に感じ取り、自主性を大切にしたいという気持ちがあるのではないでしょうか。
世の中ごとのイベントに対して強制されたくないけれど、自分がその時にやりたいと思うことに飛び込んで楽しみややりがいを見出すことに価値を感じているように思います。
ギフトの本音
ギフトは愛情のバロメーター
バレンタインから派生してギフトという行為について話をしていく中で、お二人に共通してでてきた意識として、愛情を伝えたい、贈った後の反応で愛情を確かめたいことがわかりました。
ギフトを選ぶ際には、並々ならぬ気合も感じられ、その気合は大事にしたい思いが表出した結果なのかもしれません。
選ぶ過程も楽しいようですが、それだけの時間やお金をかけたのでという本音が見え隠れします。
またAさんは、前出した毎年恒例の高級チョコレートを旦那さんにプレゼントする予定とのこと。
奮発してまでも贈って食べてもらいたい、喜んでほしいという想いがその高級チョコレートには込められ、チョコレートを通して愛情を伝えたいという気持ちが伺えます。
贈る側の愛情とギフトを贈る行為は比例しているからこそ、相手からの反応、感謝の気持ちや喜び、お返しを期待しており、その反応によって大事にされているのかを確かめたいという気持ちがあるようです。
「気を使わせるのが申し訳ない」贈ることにためらい
さらにギフト行為を掘り下げてみると、贈りあう事に心理的ハードルがあることもわかりました。
相手の意にそぐわないことをさせることを懸念しており、気を使わせるのが申し訳ないと感じています。
昨今、SNS上で贈りあう"ソーシャルギフト"が急増している背景には、機能的側面はさることながら、相手に気を使わせないさりげなさへの支持がありそうです。
贈る際に住所を聞けば相手に身構えさせ手間を煩わせる。受け取った反応をリアルで見ることはない。
贈る側の「申し訳ない」気持ちを軽減できるサービスだと改めて感じました。
またBさんの発言の背景には、ギフトを贈りたい気持ちはあっても、相手の反応を伺いためらっている気持ちがあるのではないでしょうか。
自分の選んだものを心の底から喜んでくれたら「申し訳なさ」も吹き飛ぶと思うのですが、ただ相手の反応や気持ちはコントロールできません。
だからこそ、純粋に贈ること自体に価値があると思ってもらい、贈りたい気持ちを後押しすることが大事なのではないかと感じました。
花束を買っている人を見かけると、誰かに渡すのかな、素敵だなと感じます。誰かを想い喜んでほしいと贈る姿は素晴らしい。
そうした贈る人が主役だと称賛するようなアプローチや表現の仕方で、贈る人に寄り添い背中を押すことができるとよいのではないでしょうか。
今回はバレンタインやギフトに対する本音を紐解いてきました。
"義理"が衰退し、贈る相手は"自分用"だけでなく、推し活の一環として"推し用"といった新たな潮流も生まれ、バレンタインの在り方は多様化しています。
バレンタインをはじめギフトは、時代とともに変化しながらも、人それぞれに本当に愛情を伝えたい人に想いを乗せて贈る「愛情表現」として位置付けられているように思います。
文:シルホド!note編集担当 小林